【犬的散歩日和】岐阜・岐阜城下 〜 金華山と杭州門
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P太郎ママさんとは岐阜城が建つ金華山の麓の駐車場で待ち合わせしました。駐車場の前には日中友好庭園が。ちょうど待ち合わせの1時間前くらいに着いたのですが、ほどなくP太郎ママさんも早めのご到着。こうしたところにもわが家を待たせないようにとのお人柄を感じます。
岐阜城はかつて言わずと知れた武将が関わったお城。日本の歴史を紐解けば、決して避けることのできない最も有名な戦国武将と言える織田信長公は、蝮の異名を持った武将・斉藤道三公がかつて所領した豊沃な美濃の国と稲葉山城(岐阜城)を手に入れ、この地を岐阜と名付け天下統一への足がかりにしたのは有名な話ですね(地名の由来に関しては諸説あり)。
道三は信長にとって義父であり、袂を分かった嫡子の義龍との争いの中で命を落とします。信長がこの地を手に入れたのはその後のことです。
岐阜と命名するにあたり、天下布武を掲げた信長は中国の古事に倣ったと言われています。中国の古代王朝である殷を倒し新たな世を築いた周の文王が、鳳凰が舞い降りたと言われる岐山に拠ったこと、また道徳を説いた「論語」を記し聖人として敬われた孔子が生まれた曲阜の一文字「阜」を合わせたものだそうです。
日中友好庭園は、岐阜市と中国の杭州市の友好都市提携10周年を記念して作られたもので、杭州市の名所である西湖を模して作られたものだとか。岐阜という名が中国古事によることと、金華山のふもとにある日中友好庭園。
なんだか繋がりを感じますが、そもそも周は中国西方に起こった王朝であるのに対し、杭州は中国東方、上海の西南に位置し、まったく繋がらなかったりもします。西湖は最近水質悪化が懸念されていますね。
今回は金華山を登り岐阜城を目の前で見ることはありませんでしたが、P太郎ママさんは負けず劣らずの魅力ある散策コースを案内してくださり。そこにはノスタルジックな町の風景がありました。次回はそんな町歩きです。