2006年 11月 19日
移り変わり
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懇意にしていた写真屋さんが店を閉じることになりました。
お客として懇意というか、家族として付き合っていました。きんぐが小学校に入る前からの付き合いで、昔はよく飲みに連れて行ってくれたり、事故って車をレッカーで運ばれてしまったときは迎えに来てもらったりしました。実家のある町の商店街にある小さなお店。そこで30年だそうです。ずっとそこで、スタジオ撮影をしたり、お客さんの写真を焼いたりしていました。
元々は写真やカメラ関係の機器の販売・修理、現像フィルムの受付、時計の販売・電池交換や修理などをしていました。その内にネガフィルムのプリントをする機械を入れてそれなりに繁盛していたようですが、ここ5〜6年で状況は一変したそうです。デジタルカメラがこれほどのスピードで進化・普及すること、そして大型量販店が地方に進出してくることを読めなかったと。

確かに、わずか5年ほど前のデジタルカメラは今と比べてそれはお粗末な物でした。仕事上の事で言えば、プロのカメラマンが使う100万円を越えた機材でさえもです。価格的にも一部の人しか持つことができなかったデジタルカメラが、今ではそれ以上の品質とお手ごろな価格で提供されています。もちろんきんぐもそのお陰でデジタルカメラを持つことができているわけですが。
でも、その人も本当はわかっていたのかもしれません。職業柄、新しいカメラが発売されれば当然メーカーからカタログが届いていたし。それでも、昔から写真に携わってきた人として、アナログの良さに固執してしまったような気がします。だって、自分では決してデジタルカメラを使うことがなかったから。デジタルにはデジタルの良さもあります。商売としてもう少し割り切ることができれば、また違った結果になったのかもしれませんが、その人にとってフィルムへのこだわりもまた大切なものだったのでしょう。

こだわりとは我が儘だという人がいます。その人以外には全く問題のない事柄だと。仏教のある宗派でもこだわりこそが現世の欲の現れであり、こだわりを無くすことで悟りに近づくと説いています。でも、こだわっても良いんじゃないかな。物事をどういう風に考えるか、とらえるか、そういった考え方こそがその人の人生をつくっていくと思うのです。それがこだわりであって、こだわりがなければつまらない人生になるんじゃないかな。人に押しつけることがない限り、こだわりそのものを否定することはできません。
ともあれ、慣れ親しんだお店が閉まってしまうのは残念だし寂しいです。そこにあることが当たり前でした。そこに行けばその人に会えました。月曜日が終わってしまえば、それは当たり前ではなくなってしまいます。
世の中で変わることなく残すことができるとすれば、それは思いだけなのかもしれませんね。ただこれほど移ろいやすいものも、また他にはないのでしょうけど。だからこそ、そんな思いがつまったこだわりを大切にしたいなと感じます。
その人が歩くこの先の道が光で溢れていることを願って。
by ftw71
| 2006-11-19 03:44
| life
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