お供え
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日曜日 ざるそば
を、ひと口残し、エフィに供えているお皿へ
エフィ、がっちり食べてるか!^^

ここのところ、エフィに供えられる朝ご飯は、きんぐがごろに持たせてもらう弁当と一緒のメニューです。何でも食べられるようになったエフィ。「父ちゃんはこんなにうまいの食べてたんですか!?」なんて思ってるのかな?^^
どうもblogに記事をあげる気になりません。元気に過ごしてはいるのですが、更新してしまうと、何だかエフィとの距離が離れてしまうみたいで。しばらくはゆっくり過ごそうと思います。

なのですが、こんな記事を見てしまい。
「犬に引かれ手を負傷」
ゴルフはしないのでこの選手のことは名前くらいしか知りませんが、PRのために連れて来られたわんこ、よほどビックリしたのでしょうね。しっかりと訓練の入った盲導犬だと考えると、異常といえるくらいの光がたかれたことが伺えます。
報道などのプロカメラマンが使うストロボの光量は、カメラに始めから内蔵されているものとは比べ物になりません。もちろん、必要があってそれを使っているわけですけど、わんこにしてみたらそれこそ稲光にも近い状態ではないでしょうか。距離が近い分、もっと酷いかもしれませんね。

文化財や美術品を撮影する際、こうしたストロボ発光はご法度です。強い光はそれらを傷めてしまうのです。人のモデルを撮影する場合、撮影用の傘を用いて光をまわし(和らげ)たり、天井や壁に発光したものをレフ版で拾っています。直接光を向けるのは、それだけ眩しいということですね。
撮影技術の中には、シンクロというものがあります。例えば逆光で被写体が暗い場合、カメラ側からも発光することで明るく撮影するものです。こうすると、背景も被写体も写すことが可能ですが、動物に対してこれをやった場合は当然眩しい思いをするでしょう。

お兄ちゃんのインディくんとは、同じ病院に通った仲です^^
時折、カメラ雑誌の動物撮影特集などをめくると、いかにも熟練(シンクロ自体は初級技術です)者の撮影方法のように記載されていますが、それってどうなのかと疑問に感じます。いい写真を撮るためには、動物がどれだけ眩しくても関係ないと言っているようで。いや、言ってます。
もちろん上手い人は、それほど眩しくない自然光をレフ版で拾ったりして撮影してます。もっとも動物相手にいつもレフ版を用意することは難しいでしょうし、それ以上にそんなセッティングをしている暇もないでしょう。だからといって、自分的にはストロボの大光量を向ける理由にはなりません。

そんなわけで、前回更新した海のように、ここの写真は結構白トビしています。エフィの顔(特に瞳)で露出を測っているからです(そうして得た露出が適正かどうかは別にして^^;)。本来逆光で暗くなるエフィの顔で露出を測れば、当然背景は飛んでしまいます。
一般には作品にもよりますが、白トビそのものはあまり好かれません。いかに飛ばさずに階調を維持するかとか、ハイライト部分のねばりがどうとか。風景とかならそれも分かりますが、生き物相手の写真でそれは傲慢な気もするのです。撮ってあげるではなく、撮らせてもらうという謙虚な気持ちを忘れずにいたいものです。というか、単純に眩しいのはいやだろうから^^

お気持ちよく分かります。
いつの日かまたエフィたんの事をお話してみようかなと思って下さる時まで、ゆっくりとお待ちいたしております。
無理されないでくださいね。
なぜか以前からエフィ家に寄らせていただくと涙が出てしまうごーです。心がホッとするのか。。。^-^;
でも、凄く居心地がいいんです。日に何度覘いてることか(笑)

愛よね愛。
私も写真を撮るのが好きやったんですが最近全くと言っていい程撮っていませんわ。
イオスkissのCMみたいに毎日犬にちゅうせんとあかんですね。
んで一枚目の写真ですがやっぱり立体のえひさんやったんですね。
ものすんごい似てるんですけど作者は何処に?
ああ可愛い〜!
すごい!ほんと、えひちゃんそっくりですね。
離れたお目々(失礼!)、ニヤリなお口。
めちゃくちゃかわいい~♪
えひちゃん、毎日うまうましてるのね~。
きんぐさんと同じメニューで(笑)
某ゴルファーさんの事、盲導犬のPRとはいえわんちゃんも気の毒です。
盲導犬になれなかったわんちゃんがPRをしてると報道されていましたが、あの人だかり・カメラのフラッシュ・・・どの子だって驚きますよね。
きんぐさんの写真に『愛』を感じるのは
撮影時のいろんな配慮があったからなんですね~。
きんぐさんの写真のお話も大好きですよ。
(全然参考にできない私ですが・・・)(^^;
ゆっくり、ゆっくり行きましょうね~。


更新してしまうと、単純にエフィがいたころの記事が
どんどん下がっていっちゃうのが少し寂しくて^^;
これまで何の気なしに書いていたエフィ以外の記事にしても、
これからは色々と意識せずにはいられないのでしょうね。
そして、そんなことなんですけど、毎日は変わらず過ぎてしまうようで。
頭では良くわかってるんですけど…ね^^;
そんな想いは、けっしてエフィが望んでいることでないことも分かってます。
でもやっぱり、しばらくはおセンチな気持ちになっても仕方ないですよね。
居心地が良いなんてありがとうございます^^
それはきっとごーさんが、同じ道を歩いてらしたからでしょうね。
心が共鳴するのかもしれませんね。
いつも気にかけてくださりありがとうございます^^

お褒めいただきありがとうです^^
哲学なんて言われてしまうと照れますが、もっと単純なものですよ。
ストロボの大光量で眩しい思いをするのは、
決して気持ちの良いことではないと思うんです。
少なくとも自分が撮られる側だったらそう感じます。
写真を撮りたいのはいつだって自分の方なので、
その我がままを押し通すようなことはしたくないんです。
撮っておいた方が良いですよ〜、べっちゅ^^
ごろなんて、ほとんど毎日撮りまくってましたから。
その後のデータ整理はしたことないですけど^^;
べっちゅ、いつか会えたら、その時は撮りまくりでお願いします。
んふふ。凄い似てるでしょう?
以前、ごろのお知り合いがプレゼントしてくれたものです。
毎日これを撫でて過ごしてます^^

でしょう?ホントにそっくりで。
センスと技術を兼ね備えたごろのお知り合いの作品です。
その方、超が付くほど忙しい人なので、今はこうした創作をされてなく、
そうした意味でもとても貴重な作品です。
今ではエフィの位牌として、毎日話しかけたり撫でたりしている次第です。
あ、盲導犬になれなかったわんこなんですね。
ぴよさんのコメントのあと関連記事を読んだのですが、
突然の反応もフラッシュのためではなく、
報道陣の後ろに隠れたオーナーさんを探して、
みたいなことも書かれてましたね。
いずれにせよ、わんこには負担もあったのでしょうね。
周りの人たちが、そうした労をねぎらってあげられればいいのですけど。
写真の話はある意味マニアックでオタになりがちなので、
気をつけているのですが、やはり好きなことなのでつい熱が入ります^^;

あ、そうです・そうです。
そちらに住んでいるコたちです^^
エフィがディスクをしていた頃からなので、
かれこれ5〜6年ほど仲良くしてもらってます。
最近は大会会場へ足を運ぶこともなかったので、久しぶりのご対面でした^^
名字はですね…ってここでは書けませんね^^;
というか、わんこ繋がりの知り合いって、○○パパとか○○ママとか
そもそも名字を知らないこともしばしばですよね。
それがですね、とても同じ血が流れているとは…。
彼女は女の子らしい「しゅっ」としたスリムなお顔なのですが、
エフィきたら「でん」とした男の子顔負けのマズルで^^;
どうも間違えて生まれちゃったみたいです。ホントは男の子だったみたいで^^
ありがとうございます。
気負いなく、自然体で。あるがままに過ごしていきます^^


あはは。残りものというわけではないですよ。
一緒に作って、一方はお供えに、一方は弁当箱に。
きんぐがこの弁当を食べるのは夕方以降なので
そういう意味では最初でもあります。
それがですね、エフィへのお供えの場合はさげないんですよ。
彼女、どうやら寝っぱなしのようなので、
起きた時にいつでも食べられるように供えっぱなし。
朝供えたものをさげるのは、夕飯をそなえる時なんです。
その時にはかぴかぴになってたりして^^;
夕に供えたものも、次の日の朝までそのままです。
おじいちゃんって。
老け込むには早過ぎますよ!
せめてひげのおじちゃんで^^

今わかりました!
ピザとざるそばの件ですね!
確かにあとでしたね。
今日はばっちり(偶然)先に分けて供えていたので
ちゃんとお供えになったと思います。
相変わらずさげないし、今日のざるそばはセブン産ですけど^^;

プリンパパさん やっぱりそうですか~
私も当時 JFAとNDAに参加していました(同じ時期ですね)
その後 保護犬を譲って頂き 生活が一変してしまい
なんのご挨拶もなく 時間が流れていたので・・・懐かしいです。
きんぐさんの 間違ってまれた~のコメントに
えひちゃん 傍らで笑ってるでしょうね~

あ、同じ時期ですか?
当時はまだNDAではなくSHJでしたね。
ウチはすでに引退していたので、NDAには出ていないと思います。
友達の応援にはよく顔出してましたけど。
エフィとごろは「楽しむだけ」がモットーの
本当になんちゃってディスクドッグだったので
エントリーも数える程度でした。
自分は基本的に撮影班でしたが、1回だけJのペアに出場して撃沈。
あはは。笑ってるかな? 怒ってるかも^^;
男の子でも女の子でもどっちでもいいんですけどね。
エフィがエフィらしく生きられたことを願います。